昔、主婦だった頃の終わりに私はキッチンドランカーだった。昼間は仕事があるので一滴も呑まなかったが、夕飯の支度をしていると、もうすぐ夫が帰ってくるのだと思うと怖くてアルコールを入れなければ体の震えが止まらなかった。
夫だった人はお酒が呑めない体質だったし、殴ったり蹴ったり罵声を浴びせたりするようなことはなかったが、私には誰かと一緒にいることが怖くてならなかった
DSE 模擬試のだ。
立派なアルコール依存症だったと今では思う。呑まなければやってられない・・当時の私はそう思い込んでいたのだろう。
やがて、それが高じて私は自殺を図り四ヶ月、病院に隔離されたお陰で、依存性からは抜け出すことが出来た。
離婚してからは一人暮らしなので、病気になったり貧困に陥ったりすると不安にはなるが、我慢して誰かの顔色を窺ったり、自分の興味のない話に相槌を打たなくて済むようになったからか、もうアルコールを呑みたいとはまったく思わなくなった。多分、付き合い程度ならば呑めるのだろうが、そんな機会も今はない。
昔からの友人がアルコール依存症になっている。
酒が切れると手先がブルブル震え、アルコール以外のものを口にしないので体重が20キロ以上も減り、今年に入ってから何度も脱水症状を起こして救急搬送されている。そのままだと死ぬよ、と自分のことは棚に上げて私は言ったが、病院で点滴を打ってもらい、歩けるようになるとまた酒を呑む。そんなことの繰り返しだ。
去年の11月に勤めていた会社が閉鎖することになって、それまでは帰宅してからと休みの日しか呑まなかったのだが、失業保険をもらっているので二週間に一度ハローワークに行くことしか用事がないので朝から缶チューハイや焼酎を呑んでいる。それでは身体に悪いと忠告しても聞く耳を持たない。
アルコールに限らず依存性は怖い病気だ。そういう私も未だに睡眠薬に依存しているが、自分では簡単に止められると思っていても病院に行かなければ治らない。私は家族ではないので病院に連れて行き強制入院させる権限も持っていない。
未だ二十代だった頃に私たちは知り合った。私は未だOLで、会社が忙しいから車の点検や洗車、燃料を入れるのもガソリンスタンドに委託していた。そこのスタンドのSくんという人と彼は友人で、自分の会社が休みの時にオイル交換の手伝いなんかをしていた。その頃はただの顔見知りだったのだが、私が離婚してからバイトしていた店で再会した。共通の友人であるSくんはガンで亡くなったと聞かされた。
異性間の友情など信じられないと言う人も多くいるが、私は相手の性別にはこだわらないので、男らしく、とか、女らしくとか、そういう言葉は好きじゃない。むしろ大切なのは、その人の人間性で、人に対してどう接しているかが人を判断するポイントになっている。
その友人はHくんというのだが、私は彼の家に一人で入ったことはないし、私の家にあげたこともない。それ以上は立ち入らないという暗黙の了解みたいなものだ。
とは言え、一時期、私はつまらない事件に巻き込まれ、その時の私の知人たちも同様に巻き込まれ私が犯した罪ではないにせよ、迷惑をかけたのは事実で、私はそのことをずっと気にかけていた。けれど、自分ではどうしようもなく、お詫びのしようもなく、私は何年かの間、Hくんとも連絡を取らなかった。
連絡を取ったのは、情けないことに病院に行く費用もなくなった時だった。私は切羽詰っていて恥を忍んで電話をかけた。電話番号はどこにも控えていなかったので、未だその時はあったHくんの勤めていた会社に電話をかけて取り次いでもらった。
久しぶりに会ったHくんはひどく痩せていて歩くのもままならない、と言った風だった。まるで別人のようで、私よりも一つ年上だというのに十も二十も歳を取って見えた。
普通に話はしたが、案の定、昔の事件に触れて、私が救いを求めても断られた。
それからHくんの会社は廃業した。
彼は何百万円かの退職金をもらい、失業保険をもらいながら一人で生活している。
何度か結婚している彼には男の子が3人と女の子が1人いるが、娘さんは関東の方にいる。女の子が傍にいれば父親の顔を見に来たりもするのだろうが、何といっても彼の結婚生活はそれほど長続きしていないので男の子たちも用があるときだけ電話してくるのだ・・と言っていた。
過去にいろんなことがあったわけだが、私はHくんのことは友達だと思っている。けれど、自分が病気で倒れそうになっている時に人に手を差し伸べることは出来ない。私が以前のように元気ならばもっと相談に乗ったりアドバイスもするのだろうが、今の私には不可能だ。
太宰治の言葉にこういうものがある。「貧乏人に大正義を求めるな」
そうなのだ、頭の上のハエが追えない今の私にはどうすることも出来ない。ただ、「病院に行った方がいいよ」と言うことしか出来ない。
そういう私は会ったこともない人たち助けられているのだけど。